「THE MANZAI 2019 マスターズ」の千鳥は無価値の事柄を繰り返して価値を生み出していた

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少し時期は過ぎてしまったけれど「THE MANZAI 2019 マスターズ」での千鳥の漫才を観た。実はその少し前に千鳥の単独ライブ「千鳥の大漫才2019」を観ていて、そこでも同じ漫才が披露されていた。

 

 

その漫才は大悟が「ラーメン屋って開いてる店は開いてるけど閉まってる店は閉まってる」ということを主張するというもの。夜10時というラーメン屋が営業しているかどうかは店の経営方針によりまちまちな微妙な時間に開いてる店はあるけど閉まってる店もあるよね、ということを主張するだけだ。つまりは何も言っていないのである。ノブも最初は「わかってるよ」や「そうや」という同意を示す。けれど次第に大悟の執拗なまでの繰り返しが始まる。「開いてる店は開いとるけど閉まってる店は閉まっとる」のリフレインである。

 

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この同じことを繰り返すというスタイルの漫才は千鳥の真骨頂とも言える。「THE MANZAI 2016」では大悟が「お主」と繰り返している。けれど今回の「開いてる店は開いとるけど閉まってる店は閉まっとる」はちょっと質が違う。「お主」の場合は旦那を「お主」と呼ぶこと自体がボケであって、そのボケを繰り返すというもの。今回の場合、それ単体ではボケとして成立していない。前述の通り、当たり前のこと過ぎて、もはや何も言っていないのだ。けれど、その「結果として何も言っていない」という無価値の発言を繰り返すことがボケになってくるという、これは発明と言っていい。

 

これが成立してしまうともう自由自在である。

 

「味噌、とんこつ、醤油、関係ないからな。開いてる店は開いとるけど閉まってる店は閉まっとる」
「わしが幽霊だったら怖いど。だけどわしは幽霊じゃない、人間が言っとんねん、開いてる店は開いとるけど閉まってる店は閉まっとる」
「(舞台端に移動して)ここで言うたって一緒や。開いてる店は開いとるけど閉まってる店は閉まっとる」
「わしが死んだってラーメン屋は開いてる店は空いとるけど閉まってる店は閉まっとる」

 

こういったフレーズのバリエーションによって笑いが増幅されていくのだけど、とりわけ感動してしまった言い回しがこれ。

 

「開いてる店が閉まっとって、閉まっとる店が開いてることは無いんやから」

 

もう、哲学か、と言いたい。何も言っていない。この「結果として得られるものが0なのに笑いだけが生まれている」という状況が感動的ではないか。

 

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