【感想】シシガシラ新ネタライブ「毛少伝」~あのネタを容易にハゲネタなんて呼ぶことはできない~

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2021年4月30日に行われたシシガシラ新ネタライブ「毛少伝」を配信で観た。無観客配信のみのため客席の反応が分からない状態で新ネタを3本行うというちょっと狂気じみたライブではあったものの、そんな心配をよそにシシガシラのネタは3本とも素晴らしかった。
※完全な無人ではなく客席にはゲストのデニス、ゆにばーすやスタッフの方がいたと思われる

 

このライブの2週間ほど前、3時のヒロインの福田麻貴による「容姿ネタ封印」宣言が話題になり、そこに対するシシガシラ・浜中のツイートも相まって、シシガシラが得意とする「ハゲネタ」がどのような形に昇華されるのかも個人的な注目ポイントになっていた。

 

ところがそんな注目どうでもよくなるほどシシガシラのネタは「テーマの扱い方」が新しく、彼らが漫才というものに真摯に向き合っていることが伝わってきて、多少なりともネットニュースに意識を持っていかれていた自分が恥ずかしくなってしまった。

 

結論から言うとシシガシラのネタは「ハゲネタ」ではないと思っている。確かに今回の新ネタ3本全てに「ハゲ」は使われている。そのため「テーマ=ハゲ」だと思いがちだけれど、実はシシガシラのネタに出てくる「ハゲ」は定番の一要素に過ぎない。必ずそれとは別のテーマが用意されている。

 

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ここから漫才の中身に触れるので未見の方で気にされる方は一度ライブなどで見てから読んだほうが良いと思います。

 

「毛少伝」で披露された3本のネタについて

 

1本目のネタ「あるある」(タイトルは勝手に付けてます)はあるあるって普遍的に面白いよね、というきっかけから2人であるあるを言い合う流れになるネタ。序盤にこんなやり取りがある。

 

浜中 そうなんですよ。例えば、ゴルフあるある。「力入れすぎると右に飛ぶ」。これめちゃくちゃあるあるじゃないですか?
脇田 ちょっと、ちょっとごめん。俺さ、今までゴルフって一回もやったことなくて、それがあるあるなのかどうかちょっとわかんない。
浜中 ああ、そっか、そっか。じゃあ、釣りあるある……?
脇田 釣りもねえ、俺、ちっちゃいときに何回かやっただけなんだよね。
浜中 ああ、そっか。せっかくだったらお互い共通のテーマのほうがいいもんね。
脇田 まあ、そうだね。せっかくだし、盛り上がりたいし。

 

このネタの真のテーマは紛れもなく「あるある」であり、「あるある=複数の人間(ここでは脇田と浜中の2人)にとって共通の認識でなければならない」ということをさり気なく、ただししっかりと振っている。もう少し噛み砕くと、ゴルフと釣りについては浜中はよく認識しているが脇田はそこまで詳しくないため、2人の共通認識を見つけづらい、つまり、あるあるを生み出しにくいということだ。

 

こうやって振っておいて、共通の「遊園地」が見つかったとしてもなぜか2人のあるあるが噛み合わないというところで笑いを作っていく。

 

浜中 「アトラクションの行列並んでるとき、話題が無くなって後半気まずい」。これあるあるでしょ? ねえ。
脇田 ああ、うんうん、あるかも。じゃあ、これは。「絶叫マシンに乗るときに帽子取る瞬間、いっちゃん恥ずかしい」。これめっちゃあるのよ。
浜中 ああ、まあまあ、はいはい。「みんな、お揃いの帽子とかカチューシャを買っちゃう」。これあるでしょ? おんなじようなのをみんな買って、写真撮ったりしてね。
脇田 ああ、あるかも。じゃあ、これは。それで言ったら「そういうカチューシャを付けてるだけでめっちゃ笑われるの」。

 

この噛み合わないあるあるの言い合いがあって浜中による「遊園地あるあるではなくハゲあるある遊園地verですよね?」というツッコミが笑いを起こさせる。けれどそんなシンプルな構造で終わらないのがシシガシラのネタのすごいところで、浜中のツッコミに対して脇田は自分がハゲてるんだからそういうあるあるになってしまうことは仕方無い、だから「もし自分がハゲてたら、と想像して補ってよ」というニュアンスで言い返す。

 

誰もが浜中のあるあるが正しいと思っていたけれど、浜中が言うあるあるだって「友だちと複数人で行った遊園地」あるあるであり、ひとりで行っている人は置いてけぼりであることを指摘したりもする。

 

浜中 あるあるっていうのはみんなが共感するからあるあるなんですよ。
脇田 だから、そこは一回自分がハゲてたらって想像してくれたら、
浜中 一回想像するあるあるって何?
脇田 ダメなの?
浜中 ……ダメだろ、そんなあるある!

 

つまりこの世に全員が納得する「あるある」なんて存在し得ないのだ。そこを成立させるためには共感しようとする者たちによるある程度の歩み寄りが必要なのだという「あるある」の本質を問うネタになっている。

 

*****

 

2本目のゲームアプリのネタにもオンラインゲームを介したオンとオフの立ちふるまい方というテーマが設けられている。そこへのアプローチ方法が「アバターの髪をフサフサにするかスキンヘッドにするか」というシシガシラ仕様になっているだけなのだ。

 

脇田がアバターを髪の毛フサフサに設定していたことについて、こんなやり取りがある。

 

脇田 あのー、スキンヘッドのアイテムが有料だったのよ。
浜中 ……え?
脇田 俺、ハゲるためにさ、課金したくないんだよね。
浜中 ……え、課金?
脇田 俺、今まで現実社会でさ、育毛剤買ったりして、ハゲないために課金してきてんの。それを何? 急に、ハゲるために課金って?
浜中 確かに。

 

オフラインの状態では「ハゲ」に抗うために課金が必要で、オンラインの状態では「ハゲ」に近付くために課金が必要だという状況をムリの無い形で作り出している。奇跡だと思った。

 

さらに、そもそもアバターを自分に近づけることが必要か否か、オフ会が開かれた際のデメリットにまで話を展開していく。

 

*****

 

そして最後の3本目。芸人として「話を盛ること」が罪か否かを問うという、芸人としてストレートなテーマ。けれど脇田の話(ハゲエピソード)の盛り具合が絶妙に見てられないレベルでしっかりと面白い。

 

嘘ついている(盛っている)ことを浜中に指摘されると必ず言う、

 

脇田 ハゲてないんだからもう黙ってて。

 

が回数を重ねるたびに面白くなる。

 

なんらかの特徴を持ったいわゆるキャラ芸人は、その背負った十字架と引き換えにある程度話を盛ることを許されているという謎の自信は脇田の「これで生きていくんだ」という魂の叫びにも感じた。

 

*****

 

3本ともに深遠なテーマを持つこれらのネタを容易に「ハゲネタ」なんて呼ぶことはできないのだ。