五反田団​「五反田怪団2019」感想メモ

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2019年9月16日、「五反田怪団2019」を観るためにアトリエヘリコプターへ。五反田怪団は五反田団が行う怪談と演劇の融合イベント、らしいのだけど今回が初見。公演情報を見ると作・演出は五反田団の​前田司郎で取材・監修にとうもろこしの会の吉田悠軌(クレイジージャーニーのオカルトの人)の名前があり、始まるまではしっかりと取材に基づいた怪談を劇団員の方たちが演技力を駆使して披露する会、くらいに思っていたのだけど全然違った。

 

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始まりこそ前田司郎と吉田悠軌のトークイベントのような体裁だが、徐々に様々な要素が挿入されていき油断すると頭が進行に追いつかなくなる。挿入される要素というのは設定であったり、視点であったり、方法であったり、つまりは複数のレイヤーが存在していて、それがパッと切り替わるようなイメージ。前田司郎と吉田悠軌がトークをしていたかと思えば、吉田が怪談を披露し、「美味しんぼ」の構成を取り入れた究極の怪談vs至高の怪談という対決設定が登場し、キャラに入りきった小芝居が差し込まれ、最終的には出演者一行たちによる心霊取材レポートに繋がっていき、その中にも吉田が安藤奎か菅原雪のどちらを自分の恋愛相手にするか見極める旅、という裏設定が用意されている。このレイヤーの切り替えによって、次に何が起こるか分からないという心境に陥り、常に興奮した状態でステージを観ていた気がする。

 

また、「美味しんぼ」の構成を取り入れた「恐ろしんぼ」というテーマが唐突のように思えて実は効果的だった。「美味しんぼ」が「至高のメニュー」(海原雄山)vs「究極のメニュー」(山岡士郎)であるように、「恐ろしんぼ」は「至高の怪談」(吉田悠軌)vs「究極の怪談」(桜町元)なわけだが、このムリヤリに思えるパロディーが折々で笑いを生み、イベント自体がガチになり過ぎず、束の間の安堵と怪談による恐怖の繰り返しが非常に心地よい。そして、恐怖の度合い、元ネタの採取能力、同じネタを怪談に落とし込むスキルといった様々な尺度で「至高」vs「究極」の対決が行われていく過程で、「怪談」というもののクオリティーを決定する要素があぶり出されていることに気付き唸ってしまった。こんな見せ方あるのか。

 

前田司郎は「あのときのあれってどういう意味を持ってるんですかね?」という感じで怪談の中の理解できない部分にズケズケと足を踏み入れる。あの吉田悠軌に踊って歌わせ、モテない男を演じさせ、最終的には上半身を裸にさせるという演出が、怪談に対する無邪気な疑問と同じような温度感で行われていく。怪談を使って笑いを生んでもいいし、怪談師のイメージを払拭してもいい。演劇と同じ表現手段としての怪談。タブーを感じさせない気持ちよさが存在している。

 

最終的には、吉田に降り掛かった心霊的な災い(ホテルの9階から落とされる)が実は前回の五反田怪団に出演していた着物美女による、吉田からのおばハラ(おばけハラスメント)に対する復讐であったという伏線回収で劇作家としてのスキルも見せつけられて、「五反田怪団、最高」となったのだけど、毎回こんなクオリティー? 今まで観てこなかったことが悔やまれる。

 

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