シソンヌライブ[huit]感想~時間の経過、じろうの憑依、忍の長谷川~

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7月6日(土)に下北沢本多劇場でシソンヌライブ[huit]を観た。「huit」とはフランス語で「8」のこと。ユイットと発音するらしい。

 

シソンヌのコントについてその高い演技力に言及したところでもはや意味が無いところまで来ている。彼らのコントにおいてそれらは前提であると言ってもいいだろう。けれども言わせてほしい。[huit]においても2人の演技力は凄まじかった。特にじろうのそれはベタな表現で恐縮だがキャラクターが憑依してそのものになってしまうほどのものだ。

 

この後、多少のネタバレがあるのでまだ観ていない方はご注意ください。WOWOWで放送されたり、DVDが出たりすると思うので。

 

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1本目のコントは閉店してしまった洋食屋が舞台で、店主の男性(憶測だけど今昔庵のマスターが見た目のモデルではないだろうか)をじろうが演じ、かつての常連客を長谷川が演じる。閉店を聞きつけた常連客たちが毎日のように訪れ、彼らに最後のカレーを振る舞う毎日を「それって営業してません?」と長谷川が指摘するというコントだ。そして1本飛ばして3本目のコントはその洋食屋の次のテナントであるロールキャベツ専門店のオープン初日。店主(40~50代の女性)を演じるのがじろう、長谷川は1本目と同一人物である。ここで注目したいのは言うまでもなく長谷川が同一人物を演じ、対峙する別人2人をじろうが演じているということ。長谷川のキャラクターは当然ながら1本目も3本目も一貫性があり、店主に対してツッコミ的なスタンスであるのに対し、じろうは1本目はツッコミを受けるスタンス、3本目は流暢な長谷川に対する「(会話などのやり取りが)上手だよね?」「(長谷川の意見に対して)それってどうなのかな?」というキラーフレーズによって攻めるスタンス。この2本のコントにおいて直接的なストーリーの繋がりは出てこず、そこにあるのは時間の経過だけだ。まったく別のお店の設定にしても問題はなかったはず。あえて長谷川という同一人物の客を介すことで、対峙する人物をじろうが演じれば、そこに2人の人物が登場し、2つの物語が生まれるということを証明している。

 

そしてそれらに挟まれた2本目のコントでじろうが演じているのがシソンヌライブではおなじみのキャラクター・ノムラくんであることも忘れてはならない。通学途中に様々な人から受けた罵倒(その原因はノムラくんが後ろ向きで移動していること)によって動けなくなってしまった中学生である。初老の男性(1本目)⇒中学生男子(2本目)⇒中年女性(3本目)でありながら紛れもなくじろうであるところに驚かされる。また、ノムラくんがコントの終盤で先生から見捨てられてしまった際、動かない自分の身体に対して「お前のせいで先生に怒られたじゃないか」と自分の身体なのに他者として扱っているのが演ずる者としての真髄(自分であり他者であること)を示唆してはいないか。

 

[huit]ではところどころに時間の経過を意識した設定が垣間見える。洋食屋が閉店して次のテナントが入るという時の流れ、ノムラくんが固まってしまいひとりだけ時が止まってしまう、迎えに来た教師は「まだ1時間目に間に合う」と促す。中盤にバーテンダーに「お尻を見せて頂けませんか?」と言う建築家のコントがあるが、やはり時間が経過するにつれバーテンダーはお尻を見られることを意識してしまうし、今さらお尻を見せる気になっても遅いと客は言う。(バーテンダーが落雷に遭う際の照明仕事最高)

 

そして最後に用意されていたのはおじさんの名義である家で起業するためにおじさんがいつ死ぬかというリミットを本人に聞いてしまう甥っ子というコントだ。甥っ子がその家を出ていくとしたらいつまでかというリミット、おじさんと一緒にその家に住むとしておじさんが死ぬまでのリミット。やはりついて回るのは時間の経過である。

 

シソンヌはこれらの時間の経過へのアプローチにより、変化すること、焦ること、待つこと、止まること、といった設定を丁寧に笑いに昇華するとともに、何もしないと手遅れになる、という警鐘を鳴らしているようにも感じる。だからお部屋を片付けることから始めよう。そう、チンマリのキラメキ片付け術で。(幕間の映像最高)

 

▼シソンヌライブ[huit]コントタイトル

閉店後の洋食屋
動けなくなった野村くん
ロールキャベツ専門店
お尻を見せて頂けませんか?
看護師と保育士
リミット
(幕間映像:チンマリのキラメキ片付け術)

 

※コントタイトルは正式なものではなく勝手に付けたものです